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March 15, 2004《ルサンチマン》と非モテ革命の理論的射程《ルサンチマン》と非モテ革命の理論的射程 - または日本人男子の身体への収奪システムの不可視性とその存在証明 これまでドジソン研究会においては、プログラマ=収奪される詩人におけるコミットメントの大小、すなわち社会的コンテキストにおける自覚性の有無を問題にしてきた。しかし、より自覚的である我々=himote.orgのもつ本質的な言説というものは、日本人男子という社会的な存在にたいする構造的抑圧をめぐるクリティークであるべきだ。 歴史的に日本人男子の身体は資本のシステムに組み込まれ、貨幣のための電池として大量生産され大量消費されてきた。我々はこのシステムを収奪として批判することをためらう。なぜならば正しく動作する電池は、《社会的資本》として扱われ、計画的なモテ資本の投入などを受けてきたからである。 しかし現代においては、《女性》を《社会的資本》として組み込むための新たなる欲望=燃料の発明が行われ、改革が行われた。もはや女性それ自体が燃料ではなく、機関なのである。この変化の一環を担ったのがフェミニズムであることは明確であるが、この一連の変革が女性にたいしてプラスの効用をもたらしたのかどうかは、我々=moodindigo.orgの探求するフィメールスタディーズへの鏡像としてのメールスタディーズによるクリティカルなフェミニズム史の研究対象でもある。 本論の射程である非線形かつ不可視な収奪というものは、すなわち《男性》ではなく《男子》にたいして行われていることを見なくてはならない。二重ヤマカッコつきの《男子》というものは、経済的変化とシャウプ税制による世代間不均衡によって生じた存在であるだけではない。女性が《社会的資本》となったことにより、その鏡像としての《男子》もまた生まれたのである。 《男性》は車や「燃料としての女性」に欲望し、《女性》がブランド品や子供に欲望する。それは可視の収穫のシステムである。このシステムが、収穫の射程外のものを収奪する資本の仕組みであったことは文脈から自明である。 そのアンチテーゼである二重ヤマカッコなしの女性、すなわち資本のシステムに欲望しない女性については多くの言及が行われている。彼女らが経済的収奪の対象であることは、依然として隠蔽する試みが続けられているが、もはや彼女らにとっても明らかなこととなった。 しかし収奪の仕組みがもっとも苛烈に働くのは、その収奪の仕組みが不可視である場合だ。《男子》すなわち資本のシステムに欲望できないタイプの《男性》、すなわち《女性》と女性の直交するところに位置しているものであるが、この身体性は巧妙に抑圧されている。彼らは存在自体を否定され、マイノリティとすら位置づけられず、当然あるはずの空間はぽっかりと空いている。 《女性》は、《男性》を電池として《社会的資本》としたまま、同時に彼らを労働者として位置づけようと試みる。頼れる=資本家としての《男性》を求めながら、同時に物分りがいい=従業員でもあるべきという矛盾した要求を提示している。これは二重ヤマカッコつきの《男子》にもいえる問題ではある。すなわち彼らのテクストである少女漫画は、また別の虚構としてのストーリーである《ロマンス》を提示するのである。収奪される詩人=プログラマには、とくにその非収奪性から《男子》=少女漫画脳を発症するものが多いのは偶然ではない。 二重ヤマカッコなしの女性は、もはや不透明でキッチュな収奪を逃れ、システムのハザマで収穫されることを選ぶ。すなわち彼女らのテクストが提示するストーリーである「外国人をパートナーとする」という戦略である。これは「外国へ」というシナリオの一実現方式である。 いまも数多く存在する《男性》は、決して《男子》のことを認識することはない。射程外への盲目という暴力性こそが《男性》を支えてきたシステムだからだ。 《男子》はすなわち、システムから無視され、選択の対象から除外されながらも、《オタク》という欲望と救済の新宗教を信じきることもできない。それがルサンチマンを発酵させ、その高濃度の蓄積物であるプログラマ=収奪される詩人を生み出している。 非モテ革命の政治性は未だ明らかではない。しかし《男子》が《男子》として生きていくためには、闘争ではなく亡命という手段を取らなければならないことがデータからは外挿される。すなわち、それは女性の後追いであり、世界を転々とするスキルドワーカーという存在でしかありえないのではなかろうか。 Comments
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