January 25, 2005

プログラマとサービス業

araiの日記より

 能力と生産性に開きがあるのはプログラマに限らないんだよね。カジュアルな食堂の給仕などでも、受注配膳の生産性には大きな開きがあるし、そのうえ客を喜ばせリピートさせる能力には驚くような違いがある。
 東京にとあるピザ屋があった。そこでは一人の若い女性が給仕をしていたのだけど、その人はテキパキと働き、そして何も特別なことをしていないように見えるのに、とても気持ちよい空間を作り出していたんだ。とくに客と話すわけでもないのに。
 ある日、彼女がやめてしまったらしく、別の女性が給仕係をしていた。今度の人は適性のないひとで、受注もままならず、雰囲気も悪い。その店のお客さんは瞬く間に減ってしまった。
 優秀な従業員を如何に引き止めるかは難しい問題だね。下手な成果主義などは全く役に立たない。なぜなら既存の成果主義は「従業員を脅し、いじめるプログラム」だからだ。もっと長期的で本質的なコミットメントが必要なことは間違いない。
 Paul Grahamがウェイターという仕事では若者の熱意を受け止めきれないと書いているけれど、それはウェイターに熱意や能力が不要ってわけじゃない。ただ、ウェイターという職業のキャリアパスや捉えられ方が不当に低いだけなんだ。客を増やすTop Waiterも、客を減らすPoor Waiterも、全てが一律にWaiterとして捉えられている。片方はアーティストでありプロフェッショナルで、もう一方は非熟練労働者であるにも関わらず!
 たしかに一流レストランの給仕、ソムリエなどのように優遇されているように見える人達もいるが、彼らについても評価がいい加減な部分もある。ネームバリューが実質よりも重んじられているようにも見える。
 それに比べると、わりとうまくいっているのが日本のバーテンダー業界だ。彼らはpeer review(同業者による評価)を重んじ、良いポストは推薦によって決まっていく。独立のさいも同業者や顧客の評価が重要であることは言うまでもない。その結果、日本の主要飲食街のバーテンダーは概して高いレベルにある。

 さて、日本のプログラマ業界も全くウェイター業界と同じなんじゃないだろうか。プロフェッショナルとして日々研鑽を積む人、天性のコミュニケーションスキルを活かして仕事をする人など、いろいろいる。しかし彼らがしばしば「ほかに仕事がないから嫌々やっている」非熟練労働者のプログラマと一緒にされてしまうのは問題だ。
 このあいだまでプログラムの専門学校に進むような若者は、コンピュータやプログラミングを愛して、それに大きな情熱を捧げていたと聞く。しかし最近では「ほかに仕事がないから」PCスキルを身につける人が多いらしい。それ自体は悪いことではないと思う。
 しかしスキルなどを正当に評価する土台のない業界に、そうした若者がどっと雪崩れ込んできたらどうなるだろう。上昇するキャリアパスもなく、仕事を楽しみ研鑽することもなくなり、新たな非熟練労働者の群れを作ってしまうのではないだろうか。

 それにたいし、バーテンダー業界は驚くほどプロフェッショナル的な機能を持っている。NBA,HBAなどの同業者団体があり、つねに競技会や勉強会などを開いている。
 同業者間で情報交換をすることも日常的である。「どの店のだれ」がどんな能力や才能を持っているか、どこに転職したかなどの情報も頻繁にやり取りされる。顧客に別の店を紹介することで客を融通しあい、また従業員を雇うさいに同業者の推薦を最も重んじる。これは本来あるべきプロフェッショナルソサエティなのではないだろうか。
 そして彼らはバーテンダーとして守るべき規範や持つべきスキルを、あるていど暗黙のうちに定めている。そうした条件を守るバーが「いいバー」であるというブランド戦略により、品質維持などを図っているのだ。ただし、こうした条件はぎゃくに変化への弱さにもつながりかねないが。

 非熟練者の市場はほうっておいてもできる。しかし専門的職業はがんばって構築しなければできないだろう。

 ソフトウェア業界が全てこうなる必要はない。しかし、日本のソフトウェア業界でこのような成熟したプロフェッショナリズムが機能していないことは事実である。Tom DeMarcoのピープルウェアにもあるように、ソフトウェアは「人」のビジネスである。そこを忘れてはならない。

Posted by arai at January 25, 2005 07:13 AM
Comments

能力ない人がえらい人になっているところは総じてダメですな。
自分はなんでもわかってるって勘違いしてる人とか。
困ったもんです。

Posted by: 通りすがりの者 on January 25, 2005 11:54 AM

米国のレストランを見ていると、レストラン内での役割分担がかなりきっちり分かれているようです。例えば水を足しに来たり、客が出ていった後で食器をかたづけたりする役割と、注文を取って食事を運んで来る役割は全く別のようで、多分ウェイターというと後者を指すのではないかと。その上にフロアマネージャみたいなポジションがあって、レジ周辺とか隅の方でフロアを眺めていて、問題が起きるとすっとウェイターに代わって接客したりしています。

で、各ウェイターが分担するテーブルはきっちり決まっていて、自分の担当以外のテーブルの客の相手をすることはほとんど無いと思います。従って「あのウェイターが良いからレストランに行く」ということは(個人的なファンで、その人の姿を見られれば幸せとかいうのでなければ)あまり無いのではないかと。もちろん、レストラン全体としてウェイターの教育が行き届いているから行く、ということは大いにあります。その評価はフロアマネージャとか上の方に付くのでしょう。各ウェイターに対しては客の評価はチップに現れます。

Paul Grahamのエッセイでのウェイターの比喩も、そのシステムを念頭に置いたものだと思われます。つまり、接客のプロたる熱意を持つ人はフロアマネージャを目指すか、それともレベルの高いレストランへと移ってゆくか、ということになるのだと思います。より高級なレストランに移ることは、直接ウェイターの収入に影響を与えます。$20の料理でもらえるチップはせいぜい$3〜4、これがしゃれたレストランでワイン等込みで$80したとして、客に気に入られれば$20とかのチップが入って来るわけですから。前者のレストランでいくら評価を上げても、手取りが数倍になるなんてことは無いでしょう。金が全てではないですが、やりがいという意味でも、熱意もスキルもある人のパスはそうなるんじゃないかと推測します。そういうパスを目指すごく一部のウェイター以外は、昼間の仕事か、現状で満足しているか、ということになります。

Posted by: shiro on January 25, 2005 03:44 PM
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